風に靡く、地平線の雑草

JKです。趣味は独りで寺社巡り。喫茶店で読書をするのも好きです。

オープンキャンパスという名の観光

昨日8月4日、私は阪大の人間科学部と京府医のオープンキャンパスに行きました。(阪大→京府医の順で行きました)

今年は申し込めたところがほとんどなかったらしく、今年は多分この二校のオープンキャンパスしか行けません。(私は全く行く気がなかったのですが、母親が勝手に申し込みました)

 

オープンキャンパスとは、高校生のために大学が普段は入れないようなところも一般公開しているものだと私は思っていて、てっきり校内を散策できるのかと思っていたのですが…

母親の立てた予定ではそんな時間もなく、阪大では説明を聞かずに資料だけもらって退散、京府医では施設見学はせず、説明だけ聞いて帰る、と行った結果になってしまいました。

個人的に、阪大の人間科学部の講義は面白そうで聞きたかったのですが、そうするとお昼ご飯の時間がなくなるらしいため、聞けませんでした。

 

当たり前ですが、私はオープンキャンパスは行くのなら最後までいた方が良いと思いました。最後までいないとその大学の本当の魅力は絶対にわからないと思います。説明を聞くだけでは多分どの大学も同じように感じてしまうと思います。講義や施設見学をしないとその大学の個性は見えてこないですよね。

そういった意味では、昨日は本当に無駄な時間を過ごしてしまったように思います。

 

そして、今ふと思ったのですが…

オープンキャンパスで行く大学は、自分の偏差値に見合っている、本当に行きたい大学だけで良いと思います。

まだ、私は高校生になってからは駿台模試などは受けておらず(中3の時に受けたきりです)、自分の立ち位置はわかりません。

だから、どの大学が自分に合っているかはわかりません。

そんな時に行くか行かないかもわからないような大学を巡っても時間の無駄だと思います。そんな時間があったら、数学と英語の勉強をしている方が余程効率が良いと思います。

それに、大学の雰囲気を見て「絶対この大学が良い!」と思えるような純粋さを私は持っていませんしね。(大学の雰囲気なんてその時の生徒によるもので、生徒は一年ごとに変わっていくから、そんなことを気にしても意味がない、と思っています。)

ということで、高校二年生では、自分が本気で行きたい大学巡りをすると思います。その時もまだブログを続けていたら書こうと思います。

 

次に、昨日の京府医のオープンキャンパスの後の京都観光について書きたいと思います。

 

昼食は西利のお漬物屋さんの二階で頂きました。色々な種類のお漬物を頂け、とても満足できました。

お漬物だけでも、普通に一食済ませることができました。

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近くにお寺があったため、久々に御朱印を頂きました。

廬山寺は紫式部邸のあった場所とされているそうです。そして、源氏物語もこの地で執筆されたらしいです。そう思うと、時間軸だけ移動したいという思いに駆られました。

近くにあった梨木神社にも参りました。「染井の水」という井戸の水が有名らしく、京都三名水の1つらしいです。身も心も清められた思いがしました。

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そして、河原町に行って、「祇園小町」という所で黒糖パフェを頂きました。暑かったため、五分くらいで食べ終わりました。当分体重計には乗らないでおこう…。

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昨日は一日外にいて、本当に疲れました。

オープンキャンパスは少し残念な結果に終わりましたが、今後の自分の進路を考える上ではもしかしたら重要になってくるかもしれないということを忘れないようにしたいです。

 

久しぶりの京都観光はとても楽しかったです。御朱印もいただけて良かったです。

 

……。

 

もうそろそろ私は志望大学を決めた方が良いのか?

自分の将来を考え、少し怖くなって、現実逃避をしたくなっている、地平線の雑草であった…。

 

 

 

 

 

明日書きます〜其の二〜

今日はとある大学のオープンキャンパスに行ってまいりました。

 

今日はその旨を書こうと思ったのですが、睡魔に負けてしまいそうで今日は書ける気がしません…。

 

ということで、明日書こうと思います。

 

あぁ、2日続けてやる気のない記事になってしまいました…

そういえば夏休みの宿題があったような気がする

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そういえば夏休みの宿題があったような気がする…

 

このことに今日気づきました。

「高校一年生」という「中だるみ」の時期の、しかも「夏休み」。

 

私は「学校の夏休みの宿題」という名の魔物が何匹もいることをすっかり忘れていました。七月中はほぼ塾だったのですが、八月に入るとだいぶ暇ができます。退治しなければ…

 

でも、まずはその「魔物たち」を私の部屋の「山」から探す作業から始めなければいけません!

 

どうか始業式までに全部退治できますように。

 

苦しみはそれを見た者に義務を負わせる

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「苦しみはそれを見た者に義務を負わせる」(仏の哲学者、ポール・リクールの言葉)

 

・これはどういう状況を言っているのだろう?

・電車でお年寄りの方がいらっしゃったら席を譲る行為のことだろうか?

でも、それは「苦しみ」とはまた違うような気がするし…

・義務って何の義務だろう?

……………

 

先日、たまたま何かのサイトで見たこの言葉、はじめ見たときは意味がわかりませんでした。

状況が想像できなかったからです。

 

「苦しみ」と「義務」がどういうものなのかがわかったらこの言葉を理解できるかもしれない、と思って「苦しみ」と「義務」について少し調べてみることにしました。

 

広辞苑によると、

「苦しみ」とは「苦しむこと。なやみ。難儀」

「義務」とは「自己の立場に応じてしなければならないこと、また、してはならないこと」らしいです。

 

自己の立場…

 

では、この言葉は、他者の立場に立って考える「思いやり」(広辞苑によると…自分の身に比べて人の身について思うこと。相手の立場や気持ちを理解しようとする心。同情。)とは違うということか…

 

つまり、「困っている人、辛い状況にある人がいたら、他者の立場ではなく、自分の立場からその人を助けるように何か考えなければならない」ということでしょうか?

 

「思いやり」は、つまり「理解する優しさ」だと思います。では、この言葉は何なのでしょうか?

「無関心でいないために果たすべき責任」かもしれません。

 

思いやり、という他者の苦しみを理解するという行為は本当に難しいです。誤った理解をしたり、理解したふりをするだけでは、返って相手を傷つけるからです。

 

しかし「義務を負う」には理解する行為は含まれていません。

「義務」…。

どういう義務かはわかりませんが、常にその「他者の苦しみ」について考え続ける行為、関心を持ち続ける行為であることは確かです。

無関心であることは、一番、その「苦しんでいる人」を痛めつける行為だと思います。

 

そうしないために…

 

「苦しみはそれを見た者に義務を負わせる」

 

この言葉を忘れないようにしたいです、他者の苦しみに無関心でい続けないためにも、この言葉を大切にしたいです。

 

いつかこの言葉の意味を本当に理解できるようになることを願いつつ、この記事を締めくくろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピアノとバイオリンという習い事

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私は幼少期からピアノとバイオリンを習っていました。こう書くとお嬢さま感が出ますが、実際はそうではありません!

グランドピアノとかはもちろんありません。ピアノはリビングのテレビの横にあり、ピアノの椅子の後ろには父の布団が敷いてあるので、椅子をあまり後ろに下げることができません。また、ピアノの上には常に書類の山がのっています。

置く場所がないので、バイオリン用の譜面台はありません。ピアノの楽譜立てに楽譜は置いています。

 

まあ、こんな感じで3、4歳から続けています。なぜ習い始めたのかはわかりませんが、母親が昔ピアノとバイオリンを習っていたことがあったそうなので、それで「我が子にも!」ということになったのだろうと思います。

 

小学生の頃は、ピアノにしろバイオリンにしろ練習中に同じところでミスを繰り返すと、母親に「なんで同じところで間違えるの?」と怒られて叩かれたりしたので、ピアノもバイオリンもそんなに好きではありませんでした。

 

正しく練習したら、脳に良いのかもしれませんが、私の場合は練習中に「練習をどうやったら早く終わらせることが出来るだろうか」ということしか考えていなかったので、多分ピアノやバイオリンをしてもしなくても今と同じ脳だったと思います。当時は、習っている意味がないと思っていました。

 

そんなこんながありましたが中学受験のため両方小5の時にやめました、母親に言われて。

 

しかし、中学生になると同時に私は再びピアノを習い始めました。今度は自分から習いたいと言い出しました。小学生のときは「母親にピアノをやらされている」と思っていたからピアノが嫌いでしたが、ピアノを弾くこと自体は好きだったようで(小学生のときは無自覚だった)、どうしてもピアノが弾きたくなったからでした。

 

中学生になってからは母親もあまり練習に介入してくることはなくなり、楽しんでピアノを弾くことが出来るようになりました。義務のように音符を辿っていた小学生の頃よりもだいぶ上手に弾けるようになった、と自分では思っています。

 

中3の終わり、私はバイオリンを再開しました。今まではバイオリンのケースを開けるのが面倒だという理由で背を向け続けていたバイオリンですが、ピアノと同様、どうしても弾きたくなったため、習い始めました。

 

ピアノとバイオリンの練習は最近は楽しくて気づいたら1時間やっていた、ということもあります。

 

その時に、やっと「ピアノもバイオリンも昔習っていてよかった」と思いました。

私にピアノとバイオリンという素晴らしい趣味を与えてくれた母親にも感謝です、ありがとう!

 

過去には嫌だと思っていたことでも今はそれが大切なものにになっていることがあるように、今は辛いと思うことでも将来それが自分にとってかけがえのないものになるかもしれない、

ということを忘れないようにして生きていきたいです。

 

今日は久しぶりに朝からピアノとバイオリンをしたので、朝から腕が痛いです…(もう昼ですが)、バイオリンの持ち方が悪いのかもしれません、次は気をつけようと思います。

 

澤野弘之氏が凄い件

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今日は私の好きな作曲家の澤野弘之氏についての記事を書こうと思います。

 

澤野弘之氏は主にアニメやドラマの音楽担当をされている作曲家です。(作詞家でも編曲家でもあります)

 

どんなアニメかというと…

進撃の巨人」「キルラキル」「青のエクソシスト」「七つの大罪」「終わりのセラフ」「ガンダムユニコーン」「ギルティクラウン」「アルドノアゼロ」「甲鉄城のカバネリ」「レクリエイターズ」などなど

 

ちなみにドラマは…

医龍」「ボス」「まれ」(朝ドラ) 「プラチナデータ」(映画かもしれない) 「crisis」などなど

 

結構有名なものもありますよね。「まれ」はNHKの朝ドラなのでご存知の方も多いかと思いますし「進撃の巨人」も一時期(今も?)ブームでしたよね。

 

まあ、そんな話は置いておきまして、私が澤野弘之氏が好きな理由を書きたいと思います。

 

・アニメの世界観と本当にあっているから

ドラマは見ないのでわかりませんが、アニメは本当に凄いです、しっくりきます。一度曲ありで見ると多分曲なしでは視聴することができなくなるな、という思いがします。そういう感覚を味わいたい方は是非澤野氏が音楽担当をしたアニメを見てくださいね!

 

・曲名が読めないものが数多くあるから

澤野氏の楽曲には面白い曲名のものがたくさんあります。例えば「big罪罪罪罪罪罪罪」とか。「七つの大罪」と読むそうです。このように、変な先入観を持って曲を聴かなくて済む分、その曲の世界観に入り込むことができます。

澤野氏とは関係ありませんが、これとよく似た例は日常生活でもあります。高校名とか成績とかを見てその人と親しくなるかどうか決めるような人を私は知っているのですが、私はそういう生き方があまり好きではありません。どちらかというと、その人の肩書きとかは見ずに接したいタイプの人間ですかね、まぁあまり人間と接する機会はありませんが…。

すみません、話がずれました。

 

・曲がかっこいいから

澤野氏の楽曲は重すぎる、という人もいるのですが、私は澤野氏の楽曲の重厚な感じが大好きです。感情が幾重にも幾重にも重なって、そして、ようやく1つの曲になっている感じがするからです。私的には、澤野氏の楽曲は「重い」というよりも「厚い」です。ガンダムユニコーンの「UNICORN」とかが良い例だと思います。とてもかっこいいです。

もちろん「厚い」曲だけではなく、爽やかな曲も多くあります。例えばガンダムユニコーンの「EGO」という曲とか。決して「重厚」ではありません。むしろ物悲しい気持ちになる音楽です。でもその中に、どこか力強さがあって…。私はそこにかっこよさを覚えます。

 

まだまだ澤野氏の楽曲が好きな理由や澤野氏の楽曲の魅力はたくさんあるのですが、今日はもうそろそろ終わりにします。七月も今日で終わり、ということで久しぶりにテンションが高いです。マイワールドにだいぶ入ってしまっていました!すみません。

 

最後に。

私が初めて聞いた澤野氏の楽曲をご紹介します。

医龍」の「BLUE DRAGON」という曲です。

初めて聞いたときは、春でしたが鳥肌が立ちました。「音楽ってただドレミを並び替えたものだ」と思っていた私でしたが、この曲を聴いてそうではないということに初めて気づきました。人の心に何か大切なことを訴えかけてくるもの、それが音楽かもしれない、と思うようになりました。

その「大切なこと」はまだわかりませんが、わかる日が来るよう願いつつ、今日のブログを締めくくろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理想の自分、本当の自分

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ムーミンシリーズに出てくるミイが言った言葉にこんなものがあるそうです。

 

縛らないことよ、自分で自分を。
わたしはかわいい、わたしはブス。わたしは賢い、わたしはダメ。わたしはモテる、わたしはモテない。あなた、自分をすぐ何かに決めつけようとするでしょ。
本当の自分を見つけるのはもっとずっとずっと先の話。今することは、一生懸命迷うことよ。

 

この言葉は同級生からのLINEで知りました。(私が「忙しい忙しいっていう人いるじゃない。きっと頑張っているわねって褒めてほしいのよ。だから、こう言ってあげたほうがいいわ。時間の使い方が下手ねって。」と彼女にLINEを送ったところ返信としてこの言葉が返ってきました、と書くのが正しいのかもしれない)

はじめ見たときはよくわかりませんでした。

私は、偏差値とか顔面偏差値とかは別に気にしていません。自分は自分だと思って生きてきました。だから、自分を何かに決めつけようとしたこともないかなぁという思いでした。

しかし、なぜか自分のことを言われているような気がして、もう一度読み返してみたところ「本当の自分」という箇所が引っかかりました。

 

本当の自分…

 

自分を何かに決めつけた姿は本当の自分ではないということなのか?

「自分が何者であるのか」について一生懸命迷わないと、本当の自分は見つけられないということなのか?

 

何故本当の自分という箇所が引っかかるのだろうか…?

 

私は国語力、というか読解力がないせいでこの言葉についてよく理解することができず、今日は青チャートの数学IIBをやりながらずっと考えていました。

 

本当の自分…

 

今の私って本当の自分ではないのかな?

 

そんな疑問が湧き上がってきました。

 

「自分は自分だ」と思って生きている私なのですが、よく考えたらその時点縛られていますよね。

そして、今の私は果たして本当に「本当の自分」なのだろうか、と思い始めました。

 

前もこのブログで書いたと思うのですが、私はほとんど仲の良い友人がいません(今のクラスには0人ですね)。

そういう子というのは「自分を持っているね」とやたら言われます。お褒めの言葉なのか慰めの言葉なのか皮肉の言葉なのかはわかりませんが…。

他人からそう言われると、私のような人間は自分のことを「自分を持っている子」と認識するようになります。

そして私は「自分を持っている子」として今まで生きてきました。

でも、「自分を持っている」という他人の評価 

他人考える姿になれるように、私は、自分で自分を縛っているのではないか?

 

いや、けれども私は自分を持っているから群れずに生きることができたのであり、他人からの評価は私の行いあってこそのものではないか?

 

もうこうなってくると「鶏が先か、卵が先か」という問題になってくるし…

 

というか「私は自分を持っているのか?」ということを考えている時点でもうすでに自分を持っていない証拠ですよね。

 

それか、「本当の自分=自分を持っている」としたことが間違っていたのかもしれません。

あれ?じゃあ本当の自分って何なんだろう?

 

もう一度ミイの言葉を読み返しました。

 

縛らないことよ、自分で自分を。
わたしはかわいい、わたしはブス。わたしは賢い、わたしはダメ。わたしはモテる、わたしはモテない。あなた、自分をすぐ何かに決めつけようとするでしょ。
本当の自分を見つけるのはもっとずっとずっと先の話。今することは、一生懸命迷うことよ。

 

今やっとこの言葉の意味がわかった気がしました。

本当の自分を「これ」と決めつけてしまえば、もう自分が本当の自分であるかどうかについて迷うことはありません。

それがいけない、ということをミイは伝えたいのかもしれません。

常に理想の自分に近づけるように本当の自分を探し続けることが人生なのかもしれない。

そして、理想の自分が他人の理想とも一致した時に初めて本当の自分になれるのかもしれない、と思いました。

 

私にとって理想の自分ってどのようなものだろうかと考えてみました。

  • 人の気持ちを理解して行動できる人
  • どんな状況でも自分が正しいと思う行いをできる人 
  • 優しい人
  • 周囲によい影響を与える人

………

理想の自分になるために自分には欠けている理想的なものは書き出したらきりがないですね! 

あくまでも理想は理想。自分の理想に縛られすぎず、理想に近づけるようにと思って日々を生きていきたいと思います。そして、理想が正しいものか常に考え、迷いながら毎日を過ごしたいです。