風に靡く、地平線の雑草

JKです。趣味は独りで寺社巡り。喫茶店で読書をするのも好きです。

7時間文化祭準備をして考えた

今日は朝9時から文化祭準備がありました。文化祭準備とはいってもそんな大層なものではなくて、同じ班の人で日程を決めて自主的にやっている分です。

 

こういうものは高校生にもなると「色々忙しいから」とかいう理由で来る人は少なくなってくるもので、今日も3人しかきていませんでした。前回は2人だったので、まだましですけど…。

 

来る人が少ないせいで、私たち一人一人がしないといけない作業が増え、私たち3人はなかなか帰れず結局7時間作業をすることになりました。(前の文化祭準備のときは2人しか来ていなくて、やる気がなくて何時間かで帰ってしまった分、今日はさらに仕事が多かったです。前回の行為を反省…)

夏休み前に皆で日程を合わせるときは「この日来れるよ!」と言っていた人も来ていませんでした。3人しか来ないのなら、他の日にしたかったです…。

 

確かに高校生なので忙しいのはわかります、私も一緒なので。それに文化祭なんてやりたくてやっているわけではありませんし、好きな人が勝手にやっているだけで、わざわざ夏休み中に学校に行くのは大変です。しかし、だからといって文化祭準備に行かなくても良いというわけではないと私は思います。

 

なぜなら、1人が休むだけでも他の真面目に来ているメンバーには確実にさらなる負担がかかります。文化祭準備をドタキャンする人とかはそういう人のことを考えることが出来ないのでしょうか?「人間としてどうなの?」とも思いました。

高校生の夏休みは忙しいものかもしれませんが、時間は空白から自分で創り出すものです、予定を削って創り出すものではありません。

 

と、疲れと怒りで色々愚痴を書いてしまったのですが冷静になってから読み返してみると「自分は幼稚だな」と思いました。

 

人はそれぞれ自分の価値観を持っています。だから何を大切にするか、何を頑張るかなどは人それぞれです。だから、文化祭準備などに来ない人がいることは当たり前といえば当たり前です。

 

人それぞれ「正しさ」というものの定義は違うと思うので、こういう問題に対する正しい答えは多分ないと思います。

でも、やっぱり私は文化祭準備に来て欲しい…

そんな時に私がすべき行動は何なのでしょうか?(、と自分自身に尋ねる。)

愚痴を言うことでしょうか?

違います。

どうしてその人がそんな行動をとっているのかを理解することだと思います。

 

私はさっきまで自分は正しいと思い込んで、他人を非難していました。しかし当たり前と常識は違いますよね。私にとっての当たり前は、「世間の常識」ではなくてあくまでも「わたしの中の世界での当たり前」にすぎないのです。だから、自分の価値観を人に押し付けてはいけない。それよりも他人の価値観を理解しなければいけないと思いました。

しかし私には他人を理解することは難しいです。だから、他人のとった一つ一つの行動を少しでもいいから理解しようと思います。

今日文化祭準備を休んだ人のうち1人を塾で見かけました。とても必死に勉強していました。それを見て、私は単純に「凄いな」と思いました。何かの目標に向かって頑張っている人は私は好きです、人間として。

何かを選ぶためには、何かを捨てなければいけない。

その人にとっての捨てる事が文化祭準備だったんだなと思うとしょうがない気持ちにもなります。私は頑張っている人を応援したい、と思っていたので今日の文化祭準備は大変でしたがやって良かったなと思えるようになりました。

それと同時に私も何か一生懸命になれることが欲しいなと思いました。(理由はないです。文化祭準備を休みたいとかいう理由ではありません!)人の価値観を知ることも良いことですね。

 

「夏休み中に7時間文化祭準備をする」

たった16文字の言葉ですが、私にとってはその何倍も、いや何十倍もの意味をもつ言葉になりました。