風に靡く、地平線の雑草

JKです。趣味は独りで寺社巡り。喫茶店で読書をするのも好きです。

苦しみはそれを見た者に義務を負わせる

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「苦しみはそれを見た者に義務を負わせる」(仏の哲学者、ポール・リクールの言葉)

 

・これはどういう状況を言っているのだろう?

・電車でお年寄りの方がいらっしゃったら席を譲る行為のことだろうか?

でも、それは「苦しみ」とはまた違うような気がするし…

・義務って何の義務だろう?

……………

 

先日、たまたま何かのサイトで見たこの言葉、はじめ見たときは意味がわかりませんでした。

状況が想像できなかったからです。

 

「苦しみ」と「義務」がどういうものなのかがわかったらこの言葉を理解できるかもしれない、と思って「苦しみ」と「義務」について少し調べてみることにしました。

 

広辞苑によると、

「苦しみ」とは「苦しむこと。なやみ。難儀」

「義務」とは「自己の立場に応じてしなければならないこと、また、してはならないこと」らしいです。

 

自己の立場…

 

では、この言葉は、他者の立場に立って考える「思いやり」(広辞苑によると…自分の身に比べて人の身について思うこと。相手の立場や気持ちを理解しようとする心。同情。)とは違うということか…

 

つまり、「困っている人、辛い状況にある人がいたら、他者の立場ではなく、自分の立場からその人を助けるように何か考えなければならない」ということでしょうか?

 

「思いやり」は、つまり「理解する優しさ」だと思います。では、この言葉は何なのでしょうか?

「無関心でいないために果たすべき責任」かもしれません。

 

思いやり、という他者の苦しみを理解するという行為は本当に難しいです。誤った理解をしたり、理解したふりをするだけでは、返って相手を傷つけるからです。

 

しかし「義務を負う」には理解する行為は含まれていません。

「義務」…。

どういう義務かはわかりませんが、常にその「他者の苦しみ」について考え続ける行為、関心を持ち続ける行為であることは確かです。

無関心であることは、一番、その「苦しんでいる人」を痛めつける行為だと思います。

 

そうしないために…

 

「苦しみはそれを見た者に義務を負わせる」

 

この言葉を忘れないようにしたいです、他者の苦しみに無関心でい続けないためにも、この言葉を大切にしたいです。

 

いつかこの言葉の意味を本当に理解できるようになることを願いつつ、この記事を締めくくろうと思います。